卒業旅行は世界一周!?

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旅の記憶


私が日本を出て9ヶ月以上が過ぎました。

今は南米にいます。


最近、旅を続けるかどうか悩んだり、旅の意味を考えたりする中で、今までの旅のことをよく思い出すようになりました。


マレーシアから始まった私の旅は、東南アジアを巡り、いろんな人に再会して思い出話に花を咲かせ、二度目の挑戦となったベトナム。

初めてのバイクで縦断。何も無い田舎道や海岸沿いを走った10日間。

言葉の通じない国でも田舎の人はみんな優しかった。

がんばってねって言ってくれた。


大国である中国に入って、周った東チベット。

僧侶の町。

チベット仏教に触れた鳥葬。

ムスリムが住むウイグル自治区。

このとき、中央アジアが目の前に広がって、今いる自分の場所が本当に中国なのか不思議な感覚だった。

顔つきも宗教も違うのに、みんな中国人なんだと思わなきゃいけない状況に少したじろいだりもした。


そこからパキスタンの国境を越えた。

6~7000m級の山々が広がるフンザ。

ホコリっぽくて、出てくる上水道が真っ黒で「うげ」って思ったけど、人と自然に惚れこんで気付いたら一ヶ月もいた。

毎日ここで私は何をしてたか思い出すこともできず、でも記憶の中には「素晴らしいフンザ」として刻まれていた。

一ヵ月半中国にいた私にとってフンザという地域で聞いた川の音、鳥の鳴き声、木の葉がすれる音はまさに癒しの時間だった。


そこからパキスタンを下り、イスラマバード、ラホール、クエッタに行った。

北部と違ってイスラムな雰囲気が香る。

イスラマバードで見たアフガニスタン難民キャンプは印象的だった。

20年以上暮らしている彼らの元にまだ水道、電気、ガスは通っていない。

アフガニスタンという存在がぐっと近くなった。


クエッタで盗まれた携帯。

今思うとちょっと笑えるけど、私は泣きながら警察に言ったことを覚えてる。

「携帯なんかどうでもいい。私はパキスタンが大好きなのに、信頼してる人に盗られたことが悲しい」って。

それから警察に、「君は僕らのゲストなのに申し訳ない。でもここは貧しい国なんだ、忘れないでくれ。」

そう言われたとき、私はどこかでムスリムを良いように捉えていたことに気付いた。

悲しかったけど、それが現実だった。


クエッタからイラン行きのバスに乗った。

護衛もなく、外国人は私だけ。

何人もの外国人がゲリラに誘拐されていたのは承知で行った。大冒険。

国境の街タフタンの治安は確かに良いようには見えなかったが、何とかイランに入った。

そこから今まで隠してなかった肌を隠すようになった。

本当のイスラム国を女一人で旅することは容易じゃなかった。

痴漢、セクハラ、ストーカー。

常に誰かから見られる圧迫感。

でも、私の中でイスラム圏は謎が多くて興味深いものが多かった。

気付いたらイランにも一ヶ月いた。


イランからトルコにぬけた。

季節的に冬が本格化してきたころ、カッパドキアで初雪を見た。

カッパドキアの地形に綺麗に積もった雪の景色は私が見た中で一番だった。

それからいくつかの街に滞在しながらイスタンブールに到着した。

ベトナムのホーチミンからトルコのイスタンブールまで全陸路移動という私のささやかな目標は達成された。

灼熱の東南アジアから季節を越えて、ヨーロッパの入り口イスタンブールまで来た達成感と喜びを一人で噛み締めた。

イスタンブールでは素敵な出会いもあって、他の日本人とバンドを組んで路上ライブをした。

初めてもらったお金、私はプロでもないし歌もうまくないけど何か嬉しかった。


トルコからイスラエルに渡った。

三つの宗教の聖地だ。

この旅で宗教に触れることが本当に多く、私の一番興味のある分野だっただけにイスラエルは一週間しかいなかったにも関わらず、かなり濃い日々だった。

このとき、初めてパレスチナ問題が理解できた。

パレスチナ自治区にも行った。

今しかできないこと、というか今しかないイスラエルを旅できてることが嬉しかった。


クリスマス前にスイスに移動した。

友達に再会して、新しい友達もできた。

クリスマスパーティも行ったし、おいしいご飯も食べたし、ウインタースポーツもした。

たぶん、一番バックパッカーらしくない生活をしていた。


スイスからケニアに向った。

照りつける太陽とアフリカンミュージックが異様にマッチしていて、わくわくしていた。

ケニアではスラムに行った。

話も聞けた。

大きなスラムは一つの街のようになっていたのが印象的だった。


ナイロビからウガンダに向った。

ピグミー族との大喧嘩、今は結構笑える。

ピグミーの村から見たコンゴの山々、今は行けないけどいつか行きたい国。

国境は目の前だった。


ウガンダからルワンダに移動した。

ジェノサイドの歴史が知りたかった。

たった18年前に起きた残虐な出来事が、私の目の中に飛び込む度に胸が苦しくなって泣いた。

過去の出来事なのに、その出来事を受け止めることで精一杯だった。

ルワンダの滞在は短かったけど、現地人は皆良い人が多い印象だった。

親切でフレンドリーで今まで見てきたアフリカ人よりもおとなしい感じだった。


そこからタンザニアに移動した。

タンザニアこそ、アフリカのイメージ通りのアフリカだった。

親切にもされたし、バカにもされたし。

何か騒がしい、おもしろい国だった。


スイスにいったん戻って、落ち着いた日を過ごした。

アフリカの緊張感は抜けて、少しほっとした。


そこから電車でドイツに行って、友達に再会した。

たった一日だけのドイツ。

飛行機の時間まで彼は一生懸命ドイツのことを教えてくれたし、案内してくれた。


長いフライト時間を経て、ボリビアに到着した。

まずウユニに向った。

一緒に東チベットを周ったメンバーに再会。

ウユニ塩湖にも一緒に行った。

今だけ、雨季だけのウユニ塩湖の鏡張り。

どこからが空でどこからが鏡に映ってるかわからないくらい綺麗に映えていた。

天国には行ったことないけど、たぶん天国のような場所。



そして、今私はサンタクルスという町にいる。

少し休憩をとりながら、旅のことを考えてる。

こうやって思い返しただけでも、相当たくさんのことを経験したし、数え切れない人たちに会って来た。

私が初めて一人旅した19歳のときも思い出した。

あの頃のような大興奮と全てのことに感謝していた気持ちは、旅慣れてしまった今、ほとんどなくなってしまったのがちょっと哀しい。

全てのものがキラキラして見えて、全てのことにわくわくしていた。

今もわくわくしていないわけじゃない。

でもちょっとだけ疲れた。

一人が好きで始めたのに、一人旅に少しだけ違和感を持つようになった。

「二人だったらいいのにな」と思うことが増えた。


今、私は旅に対してちょっと後ろ向きになってる。

でも、これも旅なんだと思う。

これが私の旅なんだと思う。


長旅の山を越えなければいけないときだ。


あと三ヶ月。

どういう気持ちで日本に帰れるか。

これから、どういう風に変われるか。


旅の記憶は私の中で息を持って生き続ける。

今もその繰り返しだ。


移動して、パッキングをして、また移動する。

何やってんだ私、と思うことも多くなった。

自分が思う旅がうまく現実化できないことに苛立ちもあった。


でもやっぱり私はいろんな人に支えられてここまで来れた。

いろんな人といろんな思いでを分け合って、ここまで来れたことを忘れてはいけない。

今こうしてここにいれることも。


忘れちゃいけない。

今も昔も。


旅の基本はここにある。


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Category: スイス

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初めてのクロスカントリースキー


スイスに戻ってきて初めての週末。

前からマリウス氏に言われていた通り、この日から2泊3日でクロスカントリースキーの大会に行って来ました!

出場するのはもちろん、スポーツ万能のマリウス君と彼のお父様。

親子でスポーツの大会に出るなんて素敵ですね!


場所はスイスの首都ベルンに程近いゴムズというところです。


見てください、この雪の量!!!

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これで伝わると思います、スイスの寒さ。。。。


ゴムズは毎年クロスカントリースキーが行われていて、村としては小さいんですけどスイス各地からウィンタースポーツをしにたくさんの人が来ます。


ゴムズでマリウスのご両親と合流して、お母様と散歩に出かけました。

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家々は年期が入っていてとても素敵です。



そしてそして、クロスカントリースキーの大会開幕!

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今までクロスカントリースキーってオリンピックでちょびっとしか見たことなかったので、こんなに間近で見れるとは!!




そして、まさか自分がやるとはww


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自分がやるなんてまったく思ってもみなかったのに、マリウスがもちろんMEGUMIもやるんだよ♪という口ぶりで半ば強引に挑戦ww

スキー自体、小学生以来やってない奴がいきなりクロスカントリースキーww


でも、マリウス君は基礎からしっかり教えてくれました。

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転んでも負けないわ。

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クロスカントリースキーって見た目結構簡単そうだけど、実際すごい難しいんですよ。

スキー板が通常のものより幅が細くて、バランスを取るのが大変。。。


完全になめてた・・・・


これからはオリンピックで応援します、クロスカントリースキー。




ゴムズではおいしいご飯をたくさん食べました。


ロコレットがかかったステーキ!!

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ロコレットと肉って最高の組み合わせ!!やばい、死ねるうまさ!!!!



おいしいコース料理もね。

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ヤバイ。。完全にバックパッカーの食べるものじゃないww

アフリカで太って帰ってきたっていうのに、またここでこんなおいしいもの食べるなんて。。。

肥え過ぎた。。。


でも、おいしかったです!ご馳走様でした!!!



こうして、マリウスとマリウスのご両親とのゴムズ旅行は終わりました。

お父様、お母様、今回も大変お世話になりました!

誘ってくれたマリウスありがとう!


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Category: スイス

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帰ってきたスイス


アルーシャからナイロビに戻った私は、インドネシアで会ったナリさんに再会!!

イランのテヘランで会ったしんじさんとも偶然ここで再会しました。

本当、旅での再会って良いですよね。


ゆる~くナイロビで過ごした後は、アフリカ脱出!!


向った先は~~


スイス!!!!



え~またかよ、とか思わないでくださいね。スイスはとってもいい場所です。

で、何で私がまたスイスに来たかって。


フライトが一番安かったから。゚ヽ(゚´Д`)ノ゚。



ヨーロッパからアフリカに向う皆様に朗報です。

スカイスキャナーにものっていない私が見つけ出したルートは、ヨーロッパ各国からイスタンブールへ。

イスタンブールからAirarabiaでナイロビin。

これでヨーロッパからアフリカまで3万弱で行けます。

帰りもこれが一番安くて、スイスに戻ってきたわけです!



スイスは私にとって落ち着ける場所。

たった一ヶ月しか経ってないのに、ルツェルン駅に戻ってきたとき感動しました。


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そして、相変わらずのマリウス宅。

仕事に行っていても、こういうことするのが何とも彼らしい。


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チョコの味がスイスクオリティでまたも感動。(アフリカではチョコはほとんど輸入品で高いので買えません)


長いフライトだった分、帰ってきた感はありました!!!



それから、友達のフィリップ氏に連絡を取って、ご飯を食べに行きました。

フィリップは私の悩みを聞いてくれたり、励ましてくれたり・・・帰ってきて早々にありがとう。ごめんね!


ディナーは私が愛して止まないロコレット。

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レストラン版ロコレットはまた違っていて良い!!

味はもちろんおいしい。


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フィリップ。楽しい時間とおいしいご飯をありがとう!!



落ち込んでいた私も少しずつみんなの励ましで回復していきました。

やっぱり私には解毒の時間が必要みたいだし、次の目的地まで2週間近くあったので、スイスではのんびりすることにしました。


物価は高いけど、良い国ですよスイス!!


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Category: タンザニア

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最後の街アルーシャ


モシでキリマンジャロコーヒーを堪能した後、ここまでお世話になったかずくん、しんじくんとお別れ。

2人はダルエスサラームに戻って、ザンビア行きのタンザン鉄道に乗りました。


残った私はモシから程近いアルーシャという町に移りました。

アルーシャにはタンザニアで有名な国立公園セレンゲティとンゴロゴロがあります。


私はサファリに行くつもりもなかったのですが、やっぱりアルーシャは観光客が集まるだけあって現地人がウザい。。

だいたいどこに行ってもチンチョンチャン攻撃(アジア人を卑下する言葉)にあうんですけど、ここは格段に酷かったです。

本当、一回ガチで喧嘩になりかけました。

私も人間です。毎日同じ気分でいるわけではありません。

落ち込んでるとき、イライラしてるとき、そいういうときでも容赦なく攻撃されますから、余計イライラが募るわけです。

最近はこのチンチョンチャン攻撃してくる奴を徹底的に軽蔑しています。(これが結構効きますね)


他の旅人さんも味わったことあると思いますけど、私は別に喧嘩してもキレても良いと思ってますよ!

教養がない人にはわからせないといけないですから。




まぁ、そんなアルーシャに4泊もしてしまったわけなんですが。

特に何かをしたわけでもなく、毎日ぐだぐだ

外に出るのが嫌だったので、基本は宿にいてご飯は日本食屋サザンを利用していました。

とてもおいしいご飯を毎日ありがとうございました!


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オーナーさんが日本人なのでとてもおいしいですよ。オススメです。





アフリカに来て、圧倒的に一人の時間が増えたことで私の中で将来のことを考えることも多くなりました。

これが本当に辛い時間で。

半年以上の長期バックパッカーなら経験ある方もいるかと思いますけど、やっぱり悩む時期、旅の楽しさを考える時期ってあるんですよね。

このとき、本当に日本に帰りたくて帰りたくてナイロビから帰ってしまおうか悩んでいました。


何で悩んでいたのか、大半は将来のことで。

今まで旅に出ていて解決していた考えも、旅に出たことで余計に絡まってしまったりしていたんです。

それがすごく辛くて苦しくて、だんだん旅を楽しめているのかもわからなくなっていました。


私は旅に出て、本当にいろんな体験をしました。いろんな人に出会いました。いろんなことを考えさせられました。

それは何にも変えられません。

でも、それらは多すぎたんです。

私の中にしっかりと蓄積されたけど、その蓄積された膨大な量の経験や情報が消化されないうちにどんどん溜まっていってしまったんです。

両手に抱えきれなくなった大荷物が私のことを圧迫してきて、旅の本来の楽しみを奪っていきました。


家族、友達、育った街、日本という環境。

例えば、日の日差しが射す電車のガタンガタンと揺れる感覚。

膨大な人が流れ込む新宿駅。

そんなこと一つ取っても私には懐かしくて恋しい光景になったんです。


そういうことを思い出していくと、あ~帰りたいなと思ってしまったんです。


毎日違うことをして、移動して、国が変われば言葉も文化も習慣もお金も何もかも変化して、常に変化の中にいた私は疲労困憊。

落ち着ける場所も帰れる場所もなくて、さまよっていた自分に見切りをつけるという意味で帰国を考えました。




そんな考え事をアルーシャでの4日間で考えていました。

どちらにせよ、私は南米までのチケットを買っていたので、ナイロビに戻らなければいけなかったのですが。。


いろんな思いを巡らせながらタンザニアにはバイバイ。

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アルーシャからナイロビまでは5時間程度で行けます。

あ、ちなみにケニアの再入国ビザはウガンダ、タンザニアからならばビザ代なしですが、私はルワンダの渡航歴があったので本来はトランジットビザ20ドルが必要でした。

入国審査官が優しい・・・というか気の利く人だったので、トランジットで1日しかいないと告げるとビザ代は請求されませんでした。

ラッキーでした!



タンザニアは私が回った東アフリカの中では一番おもしろい国でした。

助けてもらったりバカにされたり、いろんな表情を持った国でした。



こうして悩みを抱えながら私はナイロビに戻るのでした。

ありがとうね、タンザニア!


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Category: タンザニア

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キリマンジャロの麓でキリマンジャロコーヒーを


ザンジバル3泊という劇的に短いバカンスを終えた私とかずくんは、ダルエスサラームに戻ってきました。

ダルエスダルエスダルエス・・・・治安悪いから嫌いです。


そこで、かずくんが待ち合わせしていたお友達しんじくんと合流。

しんじくんもバックパッカーだけど、VIPバックパッカーでハワイとかアメリカとかロンドンとかバックパッカーらしくない場所ばかり行っていますw

地道に物価の安い国を周っていた自分が悲しくなりますねw



さて、かずくんとしんじくんはこれから2人でゴールの南アフリカまで南下していくということで、ここタンザニアからタンザン鉄道に乗って、まずはザンビアまで目指します。

私たち、このとき知ったんですけどタンザン鉄道でダルエスサラームからザンビアまで抜ける道は毎週火曜と土曜しかないそうです。

知った日が土曜日で、すぐに出発できなかったので火曜日まで時間が余った2人。

私が口説き落としました。



キリマンジャロの麓でキリマンジャロコーヒー飲みに行こうよ!ってね。

この2人はどうだったか知らないけど、私はコーヒー大好き。←

アフリカの中でもタンザニアとエチオピアはコーヒー名産ですから、ここまで来て飲まないわけにはいかないんです。


で、2人もノリが良いから弾丸だけど付いてきてくれました!



ダルエスサラームからキリマンジャロの町モシまではバスで10時間。北上です。

道中がアフリカっぽい。

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自然豊かです。




無事にモシに到着。

久々に人がウザい。

キリマンジャロに登るために多くの観光客がモシに流れ着くので、こういう観光地は自然的に人がウザくなります。



早速、私たちはキリマンジャロコーヒーを飲むべくマテルニという村へ。(別にこの村でなくてもコーヒーは簡単に飲めますが、自分たちで煎った採れたてのコーヒーを飲みたいという方はぜひマテルニまで!)

ダラダラ(乗り合い)に乗って45分。


東洋人が来たぞー!ってことで、村人歓迎。

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そこから、オヤジがいろいろ案内してくれました。

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森の中ぐんぐん進みます。

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そして、キリマンジャロコーヒー飲みたい!と言うと、どうやらこのおやじはコーヒーの栽培の仕事をしているらしく、自分の家へ案内してくれました。

そこで、奥さんと子どもも交えて採れたてのコーヒーと煎ってくれました。



こうやってね、直火で煎るんです。

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でもちゃんとかき混ぜてなかったから



炎上!!!


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せっかくここまで煎ったのに、全部真っ黒になっちゃいましたw

お母さん大慌てww



気を取り直してもう一回。


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次は成功。


これを石臼のようなものに入れて、潰します。

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潰すときは忘れない♪アフリカンミュージックでノリノリ♪

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みんなでやってもノリノリ♪

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こういうとこ良いですね、アフリカって。

アフリカンミュージック本当に素敵です。(見習えインド!)



こうして、私たちが何となくやった工程が終了。





キリマンジャロコーヒーの完成です!


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粉なのにちゃんとフィルターを通してないので、うん、粉っぽい♪

でも、気にしない気にしない。


味はさっぱりしていて、とてもおいしかったです!



ちなみに、肝心のキリマンジャロは曇っていてまったく見えませんでした。

うん、気にしない気にしない。


みんなでおいしく作れたからね!

それで良いのです。


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かずくん、しんじくん、私のわがままに付き合ってくれてありがとう♪

こうしてモシでのミッションを終えたのでした。


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Category: タンザニア

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お魚天国 ザンジバル


かずくんとザンジバル2日目ももちろん魚!!


ザンジバルは


お魚天国なのです.゚+.(o´∀`o)゚+.゚




ただ買うだけじゃつまらない。

かずくんの謎の闘魂に火がつき、彼は釣りに出かけました。


もちろん、竿もボートもないので彼は泳ぎながら自分手製の釣り糸で釣り。

原始的。これがザンジバルだ!


私は特に何かするわけでもないので、浜辺で流されてゆくかずくんをただ見つめるだけ。←

その間にもザンジバルにたくさんいるマサイ族に会いました。


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東アジアにはマサイ族がたくさんいるけど、やっぱりタンザニアが一番多いですね。

町中そこらにマサイはいます。

服装もいっかんしてこの柄なのですぐわかります。


ちなみに、女性マサイはこんな感じ。

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これはちょっとレアかもしれません。



そんなことしていると、夕日の時間に!!

帰ってきたかずくんの手には・・・・

奇跡の魚!

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初めて釣れたんだって!!

おめでとう~!!!

カサゴみたいな感じね。


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こちら、早速晩御飯に調理。

写真暗いけど、野菜炒めと塩焼き。

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この魚すごいおいしかったです。

かずくん、ありがとう!お疲れ様!



ザンジバル島はアフリカにいることを忘れられる本当の楽園。

島の人も白い砂浜も全部が心の中を綺麗にしてくれます。


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私はこの島に3日しかいられなかったけど、大好きな場所になりました。


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タンザニア一番のおすすめスポットです!

みなさんもタンザニアお越しの際はザンジバル島、忘れないように!


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Category: タンザニア

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ザンジバルで再会!


ダルエスサラームに夜中到着し、ようやくの思いで宿へ。

ここまで本当に何もなくて良かったです。(犯罪とかね)


翌日は朝颯爽とチェックアウト!

今日目指すのは、東アジアの楽園ザンジバル島。

一日遅れてしまったけど、ここでは再会の待ち合わせがあったので急いでいたのです。

ダルエスから船で3時間半。


今回、再会を果たしたのはかずくん!

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かずくんはイランのヤズドで会って一緒に沈黙の塔に行ったりしました。

ヤズド以来だから約2ヶ月ぶり。

年齢は私の一つ下で彼もまた世界一周中。

年下だけど結構しっかりしているし、何だかんだいつも助けてもらっていました。



かずくんの情報により、翌日にはザンジバルのフィッシュマーケットへ行きました。

生魚が食べられる国は限られているので、安くおいしく食べられるうちにってことで。


魚を選ぶかずくんは真剣です。

あ、本当は小さいサメを見つけました。

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購入したのは子アジのような魚!

何を作るかで結構もめて(食べたいものが多すぎてね)、結局無難に海鮮丼となめろう(漁師料理)になりました。

2人とも実はちゃんと魚をさばいたことないから、ちょっと不安でした。(こういうとき、三枚に既におろしてある日本のスーパーってすごいなって思います)

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見よう見まねでとりあえずさばく!!


宿の兄ちゃんも心配そうに見つめる!!

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見よう見まねだけど何とか完成。(かずくん作)

結構うまかった。

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そして料理の完成!!

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かずくんは海鮮丼、私は醤油の煮付けを作りました。

アフリカ料理は野菜が少ないので、野菜がいっぱい摂れるって素敵なことです。(改めて実感)


感想は言うまでもなく、美味~!!!!!

久しぶりの生魚最高でした!


何よりもやっぱり仲間と作って食べれるって良いですよね。

とてもおいしくいただきました。




ザンジバルの空は大きく、今日も沈んでいくのでした。

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Category: タンザニア

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ルワンダからタンザニアへ


ルワンダでジェノサイドミュージアムを巡った後は、タンザニアへ!!

ルワンダ→タンザニア間の陸路移動はそんなに王道ではないのですが、キガリのバスターミナルでダルエスサラーム行きを発見。

地図を見てもらえればわかると思いますが、ルワンダのキガリからタンザニアのダルエスまでは端から端までタンザニアを横断する形になります。

広大なアフリカの地で、一体どんだけ時間かかんだよ・・・と思ったら、何とたったの30時間(o・∀・)b゙ イィ!

早速チケット購入。




そして当日―。

バスは朝6時にキガリを出発。

日程の関係でルワンダ滞在めちゃくちゃ短かったんですけど、とにかくルワンダ人はすごく良かったです。

本当に、みんな良い人だった。


そんな思いをはせながら、30分後に違うバスに乗り換え。(おい、直通言うたやーーん)


数時間後、ルワンダとタンザニアの国境に到着。

出国手続きを無事に済ませて、



14ヶ国目タンザニアに入国!



ここで再びバスチェンジ。(おーーいw)


数時間後、タンザニア国内にある小さな町カハマに到着。

ここまでミニバスで、このカハマのバスターミナルから大型バスに乗り換えるそうな。(ここまでで直通というバス会社の話は完全にウソであった)


30分で来るから待っててね~!といわれて、待つこと4時間。

(アフリカのロスタイム率はインド並)





そこで言われた痛恨の一言。





もう今日はバス来ないよ。










(゚ω゚;)。o○(ぇ!?)




ダルエス行きのバスがカハマに向ってる途中にエンストして完全にダウンした。今日はもうカハマには来ない。明日の朝6時に代行のバスを出すけど、払い戻しと明日のバス、どっちが良い?



ヽ(ヽ゚ロ゚)ヒイィィィ!!!そんなのこちらはノーチョイスですよ!!ダルエスに行かなきゃいけないんですからねー!!!もちろん、明日の朝行きますよ。


しかし、ここで大きな問題が。。。

私はタンザニアシュリング(現地通貨)をまったく持っていなかったのです。

手元にはルワンダフランを国境で換えた数百円分のシュリングのみ。。

到底、一泊できる金額ではないし、こんな小さい街にはATMも両替屋もない。。

しかも既にこのとき21時・・・・。(アフリカでの夜間行動は絶対に厳禁なのです)


バス停野宿覚悟か・・・・と思ったら、同じバスを待っていた牧師さんとそのお弟子さんのタンザニア人2人が声をかけてくれました。



お金がないなら僕たちがサポートするよ。安心しなさい。






(゚ω゚;)。o○(ぇ!?)


しかし、ここはタンザニア。

私もこれまで女一人で旅してきた身。

それなりの危険も味わったし、だいたいの男がどういう目的で近寄ってくるかはわかっている。


こういうときに、めちゃくちゃ冴える私の勘。





たぶん、大丈夫。




そんな直感が働いたので、彼らの言うとおり付いて行くことに。

※女子一人旅の皆様は絶対に真似しないでくださいね!超高リスクです。


すると、私を安心させるためか、私の宿は別のところに取ってくれていて、夕食までご馳走してくれました。。



おいおいおい!!!


マジで良い人たちやった・・・。゚(゚´ω`゚)゚。ピー




そして、私の直感も素晴らしかった・・・・←


本当にありがとうございました。

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(写真は朝なので超眠そう)



こうして、翌日無事にバスに乗れました。

彼らはムワンザ行きのバスへ、私はダルエス行きへ。

本当に最初から最期までお世話になりました!!

感謝!!!ありがとう!!!





バスは15時間かけてカハマからダルエスに到着。


タンザニアに入ってから、急激に悪路になって全然眠れませんでした。。


でも、アフリカで一番素敵なサービス!


座っていても買い物ができる!

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これ、めっちゃ便利~!!食べ物、飲み物はもちろんのこと、雑貨も売りつけてきますよ、かなりしつこくw

欲しいときは嬉しいけど、いらないときは結構ウザいですww

アフリカンタイムには疑問の念を抱きますが、これは良いよ!!素敵、素敵。



そして、ダルエスに到着した私。

どうしても避けたかったアフリカの夜到着は見事に打ち砕かれ、到着したのは23時・・・・

(アフリカ旅の基本:「夜間外出、夜間移動、夜間行動」は厳禁)

最近ではナイロビも治安悪化してきているというダルエスにこの時間はなかなかキツい。。


しかし、着いてしまったものはしょうがない。

バス停野宿も考えたけど、アル中・薬中のヘロヘロの人とかいっぱいいたのでやめました。

タクシーには乗らず(密室が一番怖いので)、バイクタクシーでダルエス市内へ。


バイタクの兄ちゃんは英語あんまり喋れなかったし、道に迷ったりしてたけど、普通に良い人で無事に宿に到着することができました!


こうして私の長い移動は終わりました。。。

やっぱり、ルワンダからタンザニアまでの移動は簡単ではないですね。

みなさんには、ムワンザ経由でダルエスに行くことをおすすめします!



ここから始まります、タンザニアの旅!!

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Category: ルワンダ

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ジェノサイドの歴史―ギコンゴロ―


キガリのジェノサイドミュージアムの後は、ギコンゴロにあるジェノサイドミュージアムへ。

ギコンゴロへは、首都のキガリから第二都市のブタレまで行き(所要3時間)、そこから乗り換えてギコンゴロへ。

ギコンゴロ到着後は、バイクタクシーで20分くらい所にあります。

朝早く出れば、キガリからの日帰りも可能です。


ギコンゴロはとにかく田舎です。

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こんな田舎にジェノサイドミュージアム・・・?と思うかもしれませんが、もはやミュージアムと言うよりは跡地のような形で残っています。


こちらが入り口。

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建物自体は結構大きいのですが、何分人がまったくいないのでしーんとした空気がまたちょっと不気味。

私が行ったときは、職員もいなく、誰の監視もありませんでした。(ちなみに、ルワンダ国内全てのジェノサイドミュージアムは入館無料です)

ので、本当はダメだったんですが、館内の写真を撮りました。


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手前の建物にはこのように写真や解説などが載っていて、キガリのミュージアムに何となく似ています。


そして、奥側にひっそりとあるバラック。

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特に解説や何かがあるわけではないのですが、ここでは実際に虐殺が行われていたらしく、全てがそのまま残っていました。

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施錠のかかっていない部屋には当時の暗い雰囲気がそのまま。

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バラックの屋根が風でみしみしと鳴る音さえ聞こえるくらい周りは静かで誰もいませんでした。



個室の他には大部屋のバラックもあり、そこには虐殺された方々の衣類などが残っていました。

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実はここ、ギコンゴロでは虐殺された方々のミイラがあると聞いて行ってみたのですが、私が行ったときはありませんでした。。

たぶん、ここにあったんだろうな、と思った場所には既に無く。。。

いつの間にか撤去されてしまったようです。


一つ一つの部屋を回って、当時の状況のまま、どれだけ多くの人が苦しんだか体で感じたいなと思ったのですが、とにかく空気が重く、私には全てを受け止めることができませんでした。



ギコンゴロ以外にもキガリから行ける近郊のジェノサイドミュージアムではギタラマという所があります。

そこもギコンゴロと同様にミュージアムというよりは、教会の中で行われていた虐殺の状況をそのまま感じることができます。

展示してある虐殺された方々の骸骨の頭部分には、穴が開いてたり、目が陥没したりしているのですが、それはナタや銃で傷付けられた痕のようです。

中にはボーガンで刺さった弓がそのまま頭の中に残っている骸骨もありました。


ギタラマのミュージアムには係員の方が解説してくれるところもあり(英語・無料)、そこで何が行われていたか、どのように人々が殺されていったか・・・更にリアルに感じることができます。



今回、このジェノサイドミュージアムのためにルワンダに来たのですが、本当に来て正解だったなと思っています。

それだけでも来る価値のある国だと私は思います。

ルワンダの歴史を見れば、それぞれ感じることがありますが、「実感」や「体感」ほど経験の中で貴重なものはありません。

イスラエルのときも、今まで何となくで流していたパレスチナ問題がぐっと近くに感じて、嫌でもパレスチナ問題について知りたくなってしまいました。

それくらい「自分の目」で見ることは重要で、人生の中の経験ではっきりと印象付けられる出来事となります。


皆さんも、もしアフリカに行く機会があれば是非ルワンダへ行ってみてください。

そして、自分の体で感じてみてください。

経験は何にも代えられない自分の財産となります。


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Category: ルワンダ

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ジェノサイドの歴史―キガリ―


ウガンダからルワンダへ無事に入国し、ほっと一息。

ここルワンダへ来た理由はただ一つ。


ジェノサイド(虐殺)の歴史を知りたいということです。


ルワンダでは18年前・・・・そう、本当につい最近まで内戦が続いていました。

そのため、ルワンダ国内にはいくつもジェノサイドニュージアムが点在しています。

今回は、キガリのジェノサイドミュージアムについてご紹介したいと思います。



まず、ルワンダ内戦の歴史について。

ルワンダ虐殺(Rwandan Genocide)は、1994年にルワンダで発生したジェノサイドである。1994年4月6日に発生したルワンダ大統領のジュベナール・ハビャリマナとブルンジ大統領のンタリャミラの暗殺からルワンダ愛国戦線 (RPF) が同国を制圧するまでの約100日間に、フツ系の政府とそれに同調する過激派フツによって、多数のツチと穏健派フツが殺害された。(ルワンダやブルンジなどの地域では、フツ族、ツチ族、トゥワ族の三つに分類され、これまで幾度も対立してきた)

1994年4月6日、ルワンダのジュベナール・ハビャリマナ大統領とブルンジのシプリアン・ンタリャミラ大統領の搭乗する飛行機が、何者かのミサイル攻撃を受けてキガリ国際空港への着陸寸前に撃墜され、両国の大統領が死亡した。攻撃を仕掛けた者が不明であったため、ルワンダ愛国戦線と過激派フツの双方が互いに非難を行った。そして、犯行者の身元に関する両陣営の意見は相違したまま、この航空機撃墜による大統領暗殺は1994年7月まで続くジェノサイドの引き金となった。

『大量虐殺の社会史』によれば、ルワンダ虐殺はしばしば蒙昧無知な一般の住民がラジオの煽動によってマチェーテやクワなどの身近な武器を用いて隣人のツチを虐殺したというイメージで語られているが、これは適切な見解とは言い難い。ジェノサイドへ至るまでには、1990年以降の煽動的なメディアプロパガンダや民兵組織の結成、銃火器の供給、虐殺対象のリストアップなど、国家権力側による非常に周到な準備が行われていた。この国家権力側による準備と、対立や憎悪を煽られた民衆の協力によって、およそ12週間続いた期間のうち前半6週間に犠牲者の80%が殺害されるという、極めて早いペースで虐殺が行われた。その結果、与野党を含めたフツのエリート政治家の多くが、紛争終結後の裁判によりジェノサイドの組織化を行った罪で有罪とされている。

1994年4月7日に開始されたジェノサイドでは、ルワンダ軍やインテラハムウェ、インプザムガンビといったフツ民兵グループが、組織的行動として捕らえたツチを年齢や性別にかかわらず全て殺害した。また、穏健派フツは裏切り者として真っ先に殺害された。フツの市民は虐殺に協力することを強いられ、ツチの隣人を殺害するよう命令された。この命令を拒んだものはフツの裏切り者として殺害された。大半の国が首都キガリから自国民を避難させ、虐殺初期の時点で同国内の大使館を放棄した。状況の悪化を受けて、国営ラジオのラジオ・ルワンダは人々に外出しないよう呼びかける一方で、フツ至上主義者の所有するミルコリンヌ自由ラジオ・テレビジョンはツチと穏健派フツに対する辛辣なプロパガンダ放送を繰り返した。国内各地の道路数百箇所では障害物が積み上げられ、民兵による検問所が構築された。大々的にジェノサイドが勃発した4月7日にキガリ内にいたダレールと国際連合ルワンダ支援団メンバーは保護を求めて逃げ込んでくるツチを保護したが、徐々にエスカレートするフツの攻撃を止めることができなかった。この時、過激派フツはミルコリンヌ自由ラジオ・テレビジョンの報道を受けて、ダレールと国際連合ルワンダ支援団メンバーも標的の1つとしていた。4月8日、ダレールはニューヨークへ、過激派フツを虐殺行為へ走らせる推進力が同国の民族性であることを暗示した電報をニューヨークへ送っている。また同電報には、複数の閣僚を含む政治家や平和維持軍のベルギー兵が殺害されたことも詳述されていた。ダレールはまた、この現在進行中の虐殺行為が極めて組織立ったもので、主に大統領警備隊によって指揮されていると国連に報告している。

その後、ルワンダ愛国戦線により1994年7月4日に首都キガリおよびブタレを制圧し、同月16日には政府軍の最終拠点であったルヘンゲリを制圧、その二日後の18日にカガメ司令官が戦争終結宣言を行った。これはハビャリマナ大統領の暗殺からおよそ100日後のことであった。


<参照:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%AF%E3%83%B3%E3%83%80%E8%99%90%E6%AE%BA>

ルワンダ虐殺について詳しく知りたい方は、「ホテルルワンダ」を見てみてください。






私が始めに行ったのは、首都キガリにあるジェノサイドミュージアム。

ミュージアム内は写真撮影禁止なので、写真はありません。。ごめんなさい!


ここは「ミュージアム」というだけあって、かなりちゃんと施設化されていました。

出来事がつい最近だったこともあり、写真や映像がカラーで残っていました。


どうして虐殺が起こったのか、どれだけ酷いことが行われていたか、各国の反応やその後についてを時系列で説明されていました。

このミュージアムの特徴は、ルワンダ内戦の説明の後にこれまで世界で起こった虐殺を一つずつ紹介していることでした。

アルメニア人虐殺、ユダヤ人虐殺、カンボジアのポルポト内戦・・・・改めて見るとこれまでの歴史の中でこんなに多くの国で虐殺が起こっていたんだな、と実感しました。


人はなぜ繰り返すのか。

なぜ学ばないのか。



そういうことを訴えかけていたように見えました。




一番衝撃的だったのは、Children's room。

これはミュージアムの2階部分に設けられた一室で、虐殺された子どもたち数十人をピックアップして、


彼らの名前、

年齢、

仲の良かった人、

好きな食べ物、

好きな遊び、


そして最後の項目には、



なぜ亡くなったのか、

最後に彼らが見た光景は何だったか、


が書かれてありました。


とても幸せそうに映る写真からわかる彼らの生活。

甘えん坊な子も強い子も、無邪気に遊んでいた様子が簡単に想像できた反面、頭を銃で撃ちぬかれて亡くなった、ナタで八つ裂きにされた、などあまりにも残酷な最期を迎えたことを想像すると・・・・自然と涙がこぼれてきました。

こんなことが、本当に18年前に起こっていたなんて信じられませんでした。


それと同時に、ポルポトのときと同じ気持ち、自分が恥ずかしくなりました。

「どこかの世界」で「何かが起きた」というだけのことしか頭になかった自分がとにかく恥ずかしくて、どうしようもないくらい悲しくて。


文章や写真で見るのとはまったく違い、自分の目で見るとこんなにも世界は広くて狭いものなんだと感じるし、すごく遠い存在に見えていた虐殺の事実も、こんなにも近くに感じることなんて今までありませんでした。

だって今現在、普通に生活しているルワンダ人の中には加勢した人もいるだろうし、怖い目に遭った人もいるだろうし、生き残るのに必死だった人もたくさんいるだろうし・・・・そうやって命からがら生き残った人たちが暮らす国だなんて、今のルワンダからは想像できないくらいルワンダ人は優しくて温厚でフレンドリーで、インフラも綺麗に整っていて・・・・。

ルワンダ内戦が終わったとき、今まで別れていたツチ族・フツ族という概念もなくなり、ルワンダ人は「ルワンダ人」として一つになりました。

しかし、「フツ」や「ツチ」というワードは今でもかなりタブーな存在で、ルワンダ人が近くにいるときは決して出してはいけない言葉です。

そう思うと、道を歩いているだけじゃわからない彼らの黒い闇の部分や傷ついた部分が少しだけわかります。


キガリのジェノサイドミュージアムではジェノサイドの本当にさわりのさわりの部分だけ見させてもらいました。
それでも感じたことは多く、自分はまだまだ未熟というか・・・・もっと勉強していかなきゃな、と自覚させられました。


次回はギコンゴロのジェノサイドミュージアムについて。

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プロフィール

MEGUMI

Author:MEGUMI
大学卒業後の1年間の旅をし、何となくマレーシアに移住。
現在はイギリスの大学院で戦後復興学の勉強をしています。

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