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Category: イスラエル

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パレスチナ自治区ベツレヘムとヘブロン


今日は、パレスチナ自治区に関する記事、パレスチナ問題について書こうと思います。

このブログを見るに当たって、パレスチナ問題・・・というかイスラエルのこと、宗教のことがどれだけ彼らに関わっているかを知ってもらえれば、と思います。


彼らにとって宗教とは人生そのものであり、アイデンティティーとなっている
ことを決してお忘れなく。


【パレスチナ問題】
Wikiなどで調べてもらえれば早いのですが、何せ恐ろしく歴史は長く、またかなり複雑なので簡単に説明します。
何百年も前、イスラエルという場所には元々ユダヤ人が住んでいました。しかし、ユダヤ人は国を持たない民族であり(遊牧民のような感じ)、移動しながら土地を変えていきました。その後、イスラエルにはアラブ人が住むようになりました。
第二次世界大戦で、ドイツのヒトラーがユダヤ人を虐殺したことを受け、多くのユダヤ人が逃げるためにイスラエルへ逃げ込みました。もちろん、先に住んでいたアラブ人は「何で俺らんとこにお前ら勝手に入ってきてるんだよ!」と激怒。ここからユダヤ人とアラブ人(現パレスチナ人)の争いは始まりました。
更に拍車をかけたのがイギリス。戦争に負けそうになっていたイギリスは「世界中に散ったユダヤ人を集めて、戦争に協力してもらえれば勝てるかもしれない」と考え、イスラエルの土地にユダヤ人のための国を作るという条件で、これを提案。もちろん、今まで国を持たなかった(持てなかった)ユダヤ人は承諾し、結果イギリスは勝利することができました。
しかし、実はその前にイギリスはシリア・パレスチナ・アラビア半島をアラブ人のものであると認める覚書を送っていたのです。(ダブルブッキング状態)これにより、イスラエルという土地にそれぞれの国であると主張したユダヤ人とアラブ人の溝は深まり、交戦に発展していったのです。
その後、どうしようもできなくなってしまったイギリスは、この問題を国連に押し付け、幾度となく国連はイスラエルに介入しました。1948年に国連はパレスチナ(現イスラエル)をユダヤとアラブの二つの国とし、その後イスラエルという国の建国に至ったのです。
パレスチナ自治区は、イスラエル政府が認めたパレスチナ人(アラブ人)の土地です。が、現在ももめているガザ地区などは互いに自分たちの領土であることを主張。そのため、未だにドンパチやっているわけなのです。




私が行ってきたベツレヘムとヘブロンは既にパレスチナ自治区であると認められた場所ですが、実際にはイスラエル政府の管轄下にあり、常に軍の見張りやパレスチナからイスラエルに行くときの厳しいセキュリティチェックなどは怠っていません。




エルサレムからバスで約1時間。

まず最初にベツレヘムに到着。

イスラエルとパレスチナの間にある分離壁には、平和と独立を願う声が多く寄せられています。

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また、体験談なども多く壁に貼られています。

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分離壁へのラクガキは、一般のかたももちろん可能です。

近くのバクシーシショップにて5シュケルで道具を貸してもらえます。


もちろん、私も参加しました。

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そして、完成。

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長く長く続く分離壁に自分も参加できて、嬉しかったです!



また、ここにはイギリスの有名なアーティストであるバンクシーも参加しています。

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ベツレヘムはなぜかシーンとしていて、ほとんど人気がないことが印象的でした。



そして、ベツレヘムから更にバスに乗ってヘブロンへ。

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ヘブロンに着いた瞬間、何だか懐かしい気持ちになりました。

っというのも、ヘブロンはイスラムの街。

雰囲気や街を歩く人の服装が、パキスタンによく似ていました。


ここには「嫌がらせ通り」という有名なストリートがあります。

通りの両側にはアパートが立ち並んでいるのですが、昔上の階に住むユダヤ人が下の階に住むアラブ人に向ってゴミなどを投げて嫌がらせをしていたことから、この名前になりました。


今もなお、嫌がらせから身を守るための網やシートが残っています。

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当時の名残なのか、網にはゴミがまだぶら下がっていました。


嫌がらせ通りを抜けていくと、ゴーストタウンが見えてきます。

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まだ少しだけ人は住んでいるらしいのですが、どこを見渡しても冷め切っていて、長時間いると恐怖心さえ覚えてしまうくらいです。

ここは、昔パレスチナ人が住んでいたのですが、イスラエル政府の介入によって追い出されていってしまったようです。

ヘブロンには実は数百人だけユダヤ人が住んでいます。

これはイスラエル政府の策略らしいのですが、この少数のユダヤ人を守るために何千人というイスラエル軍がパレスチナ自治区にいます。


私がいたときも訓練など行っていました。

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ヘブロンの印象としては、第一に「貧しい」ということがきます。

同じ国なのにどうしてこうも違うのか、と思うくらいに。

何となくインドっぽさもあり、イスラエルから来た私にとってパレスチナは同じ国とは思えませんでした。

「宗教が違うから」というよりは、「完全に見放されている」という印象です。

教育もままならず、軍に制圧されながら生きているパレスチナ人をたくましいとも思う反面、息苦しく哀しくも見えました。



今回、イスラエルで2箇所のパレスチナ自治区に行けたことは私にとって本当に大きな経験となりました。

宗教の「負」の部分を存分に見れたことは言うまでもなく、それがどう戦争に繋がっていくのか、その中でどうやって人々が生きていくのかを少しだけ・・・破片だけでも見れた気がします。


彼らを見るときに、必ず最初にくる「宗教」という視点。

これを無くして彼らの生活、文化、歴史・・・全てにおいて見ることも語ることもできません。

無宗教の私にとって、彼らそのものが宗教の原型です。

彼らは全力で自らの宗教を愛し、守るために戦い、自分たちの人生を捧げています。

これは、尊敬以上の何ものでもありません。



イスラエルにいたとき、常に落ち着けなった・・・・という感覚はイスラエルが常に緊張状態であることを示していて、「安息」という言葉をこの国で見つけるのはかなり困難であると思いました。

この緊張状態を少しだけでも行ける時に味わえて、本当に良かったです。


これからイスラエルに行こうと考えている方、パレスチナ自治区は行けるときが限られています。

是非行ってみてください。

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遅くなりましたが、皆様あけましておめでとうございます。

去年は多くの方にこのブログを読んでもらうことができました。

ありがとうございました。

今年も半分、旅は続きます。

頑張って更新していきますので、どうぞ今年もよろしくお願いします。

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MEGUMI

Author:MEGUMI
大学卒業後の1年間の旅をし、何となくマレーシアに移住。
現在はイギリスの大学院で戦後復興学の勉強をしています。

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